2012年05月22日

立てば芍薬座ればボタン

しばらくアカウントを凍結していたんですが、結構前からFacebookを再開しています。ブログ、ただのSNSだった頃の大昔のGree、mixi、ツイッターにFacebookと、普段は流行の真逆を行こうとする割にはなんだかんだでネットの流行りものにそれなりに手を出しとることになります。しかしGreeはびっくりしたよね。SNSのGreeと、モバゲーのGreeが同じ(よね?)だと知るのにはしばらく時間がかかりました。

なんでFacebook再開したんだっけ。あぁ、どうせ誰も気付かんだろと思ってこっそり消えたつもりが後日数名から「隠岐ちゃんFacebookやめた?なんで?」みたいな事聞かれたんだった。
「うーんなんかめんどくなって(みなさんの自慢・馴れ合い・褒め合いを読むのにうんざりしたので)」みたいに返しよったんだけど、そうやって話題にされるとやはり私も人の子、一応それなりに他の人達がどんな充実したライフを送っているのかなとか知りたい時もあるし、いやでも一回消えてまた復活とかダッサ、いやでも…と迷った末、結局持ち前の精神力の弱さでまた再開したんだった。なんだかんだ気になるんだな。ダッサ。

んでこの度こうしてペンを取りましたのは、またFacebookから逃げ出したくなってこの気持ちをどこにぶつけていいか分からなくなったから!>< 相も変わらず「おいしそう」「かわいい」の応酬が繰り広げられるバトルフィールドであることは想定内ながら、最近の「いいね!」ボタンの使われ方もどーも気に入らん。
人の投稿のほぼ全てにいいね!しとる人もおるし、例えば自分のうpした写真についたコメント全てにいいね!押しとる人もおる。誕生日おめでとうのコメント全部に、誕生日の人がいいね!押しとるってのもある。ありとあらゆるものにいいね!しまくっとる人がちらほら。

お前は本当にいいね!と思っているのかと。
はいよあんたの投稿に反応しときました、みたいなハンコ代わりに使ってないですか。あるいは反応されるのは気持ちいけど、一人ひとりに文章考えて返信するのは面倒がっていませんか。
ボタンひとつで済ませること、自分の体から発せられた言葉でコミュニケーションを取らないこと、コミュニケーションを自ら進んで定型化していくこと、なによりそういう怠惰で不誠実なことをして平気なこと。褒め合い合戦もとてつもない瘴気を帯びていますが、このいいね!ボタンの乱用が最近、Facebookを見ていて神経が逆撫でされる事柄のひとつです。

でまたここで例によって中島義道の話が出てくるんだけど、このおっさんは日本のお店の、「イラッシャイマセ」って喋る自動ドアが大嫌いらしい。てか、そもそも日本の店員のする挨拶も大嫌いらしい。いらっしゃいませだとかありがとうございましたという感情が伴っているべき言葉を、機械みたいにただ繰り返すことが気持ち悪くてしょうがないみたいなことを何かの本で書いとった。
私日本におったときはそんな事思わんかったけど、確かにこっちで生活し始めてから、たまに日本に帰ってお店とか行くと、誰に言っとるともつかないイラッシャイマセーの洪水で確かにこれは機械のようで気持ち悪いなと気づいた。外人の接客態度は悪いってよく言われるけど、いやそれは紛れも無い事実だけど、日本だってそんな素晴らしいもんでもない。慇懃無礼なだけじゃ。
昔のことですが広島のパルコのカフェで、店員が「いらっしゃいませこんにちは」って言うけん私は思わず「あ、こんにちは」って返したんだけど、その時の店員の氷のような表情ったら今でも忘れられない。後になって「いらっしゃいませこんにちは」までが「定型句」になっていたんだなと知った。反応してはいけないこんにちはだったんですね。日本語ムズカシアルネ

定型といえば私は携帯の絵文字も嫌いで、まぁあれは絵文字が全然可愛くないし絵文字が散りばめられたメールの馬鹿っぽい賑やかさが嫌いってのもあるけど、自分の気持ちの表現を絵文字に依存するというのが気に入らない。最大公約数で用意された記号ごときでおまえの感情表現は事足りるのかと。
絵文字の種類が増えれば増えるほど、自分の言葉で自分の気持ちを正確に表現することを放棄する人が増えていくんじゃないかと思う。絵文字がこの世から消えたら声を奪われたような気になる人おるんじゃないかね。別に今更絵文字に対してストイックになるべきと言いたいのではなく、抱いているはずの色んな感情を記号1つに押し込める、やはりその怠惰な根性と、おそらく己の怠惰さを自覚すらしてないことがアタイは気に入らないのさ。「ここにハートマークがあるから隠岐ちゃん脈ありだよ〜」ってか。ケッッッ!!!!しょーもな!!!!!!!

で、ここで話はツイッターに飛ぶんですが、私はツイッター初めて2年半くらいになると思うけど、未だにフォローが50人程度です。フォロワーはフォローを上回っていますが6割はbotです。いや7割。botじゃない至極真っ当な人間の方にフォローされて、フォロー返しするのは4人に1人くらいかのう。フォロー返しする前にその人のツイートをかなり真面目に読んで、きっとイライラさせられることはないだろうと思ったら返す。ちなみにこちらがスルーした人はだいたい2,3日の「待ち」期間をおいた後「こいつは駄目だ」と思われフォロー外される。(これがまたちょっと腹立つwフォロー返し期待してフォローしてんじゃねえ)
ってこう書くとまぁ〜何様のつもりじゃって感じなんですが、だってフォローしとる人のツイートは全部読みたいし、読むからには不快になるもの(人畜無害でやけに前向きで他愛がなければないほど不快、何買った何食った○○に感謝等)は読みたくないもん。田母神のモーニング長文連投はたまに読み飛ばすけど、全部読んでます。読むためにフォローしとんだから。
たまに「必ずフォロー返しします!」って宣言してもうフォローがウン千人とかになっとる人がおるけど、ああなるともう「お前がどんなことをつぶやく人間なのか興味ないしそもそも読む気ありません」って言っとるに等しいと思う。えらっそーな態度で人を選り好みしまくっとる自分が言うのもあれかもしれんけど、見境なくフォローしまくるのは、それはそれで「人」をちゃんと見てないんじゃないかと思いますけどね。彼らにとってフォローはただのプロセスなので選り好み以前の問題というか。フォローで始まるのではなくフォローで終わる。人を数字としてしか見てないんじゃないかと思いますけどね。

Facebookのいいね!乱用、ツイッターで異常な数フォローしとる一般人、どちらにも共通して私が感じるのは、あなたたちの使っとるパソコン(なりスマホなり)の向こうにも生身の人間がいるってことを忘れてないですかってことです。うーんこれちょっと大袈裟だな。なんじゃろ、やっていることが、悪意、いやむしろ善意さえあるのかもしれないけど、Facebookは、喋ることすら省略していいね!ボタン一つでコミュニケーションを事務的に処理している点、ツイッターは、相手がどういう人かさえもよく知らず、ただフォローされたから機械的にフォローし返している点で、人に対してちょっぴり不誠実なことしてるって自覚はありますか?どういう形であれ、その人と関わるときに相手を「よく見て」いますか?って感じかのう。キザかつ端的に言うと、その言葉や行動に、体温があるかないかの違い。
最近は他人とすぐ繋がって便利な世の中になったけど、体温のないコミュニケーションが増えたなあと、そう思ったわけです。

あーあ、なんか昔はもっと単純に怒っとったのに随分説教臭くなったわ。
歳取ったんかのう。
posted by 隠岐 at 02:28 | Comment(0) | 私論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月16日

グッチさん

喉が痛くなるくらいきっつい香水をつけていることが発端で、それ以降徐々に嫌っていった会社の受付嬢(っても40近いけど)が、私の知らないうちに辞めていた。確かに言われてみれば最近会社の空気がきれいだった。

なぜかうちのチームの数名はその受付嬢(っても40近いけど)とえらく仲が良く、まぁ彼女は明るくてお喋りでふれんどりーで面白かったので人から好かれていたんだけど、私はその明るい声のトーンから香水にも負けないものすごい作り物臭を常々感じていて、それが「人間失格」で竹一が葉蔵に「ワザ、ワザ」と囁くシーンを連想してしまうというか、いつも明るい感じでやっとる彼女の背後で私が「ワザ、ワザ」と囁いて、その作られたキャラを粉々に打ち砕いてしまえればとよく妄想していました。

で、そんな彼女の送別会が今日あって(だいたいあんな楽しそうにしとったのに突然辞めるあたりどんな心の闇を抱えとったんだか)、暇だったし最近まじで人との交流がなさすぎたので参加してみたんだけど、つまらんかった。まぁ彼女とは全然言葉は交わさんかったんだけど、とりあえず「コスモポリタン」頼んどってあーこいつのやることなすこと全て私にとって無理ということだけ確認して終わった(SATCでババア4人がいっつも飲むやつなんじゃろ?一人でやってろこのスイーツ!)。彼女の話は以上で終わりです。

んで何がつまらんかったかというと、まぁ周りが会社の愚痴しか話さんこと!
そりゃまぁ悲しいことに会社が唯一の共通の話題なんじゃけどさぁ、ほんとよくそんなに豊富に愚痴ネタを取り揃えているなぁと。驚き呆れました。
人の悪口とか愚痴なんて聞きたくない!みたいなピュアな事が言いたいのではなく、というか誰よりも愚痴や文句や人をディスる(笑)ことが多いのは紛れもなくこの私なのであって、じゃあ私はこの場合何が嫌なんかというと、皆で仲良く会社の愚痴を言い合うことで一体感を感じとる集団心理みたいなの。
長山靖生の本にあった表現、まさに「個人は好きだけど集団は嫌い」を実感する瞬間ですよ。会社とかで隣におってしょーもない話をする時の個々人は好きだし、彼ら一人一人を日々見ていても別に今の仕事が苦痛で仕方ないというふうでもないのに、いざ集まって話すとなると、どうして愚痴大会になるんじゃろう。私は彼らの不満がどこまで本気なのか分からんし、本気でなければ、一体何の、誰の為に合わせとるんかも分からん。

そんで私その愚痴に同意できればまだいいんじゃけどさ、できないので聞いとって余計につまらんのですよ。私は適当に好きな仕事できて適当に収入があってついでに適当に渋いおじさんとかに萌えられる今の環境に満足していて、時々アホな人にイライラするけど別に人にイライラするのは仕事に限ったことじゃないわけで、言ってみれば、自分の半径1m以内が差し当たり居心地が良ければ、その外には一切興味がない。思えばバイトの時からそうだった。自分を雇ってくれて、タダで色んなCDさえ借りられればあとはどうでもよかった。
要するに私は、かなり狭い範囲の個人的な快不快にしかこだわっておらず、全体における自分の立場についてとか、会社の構造やらなんやらにはまるで興味がないので、不満の持ちようがない。逆に愛着や誇りもない。だから、周りが愚痴で盛り上がっているところに「そうだよね!?」みたいに同意を求められても、「いや、あんま思わん」とだいたい返すのでたぶんすごく水を差しているんだろうなと思うんだけど、同意できないことに同意はできない。
ていうかね、そんなに会社に不満を抱えているのなら、なんで辞めんのだろうと。与えられている現状に結構安住しているんじゃないのと。だけど文句はいくらでもある。でもまぁやっぱりやっていけなくもない環境なので、その愚痴や不満を解消するために行動を起こそうとも思わないし、そもそもそんな勇気もないし責任も負いたくないんでしょうと。組織に対して、ちょっとしかめっ面しながら黙って従うしかできないんでしょう。そういう人たちが酒の席になるとわらわら集まって文句の大合唱ってほんと醜いと思うんだけど、そういう風景で溢れ返っとるこんな世の中じゃポイズン。

ただまぁ彼らの、愚痴れるほど抱けちゃう、自分の所属している組織に対する思い入れの強さにはむしろ感心してしまいます。私もちょっとは当事者意識的なものを持たんといけんのかなぁと思うけど、そうなるとか弱い私は愚痴集団に引きずり込まれそうなので、やっぱり今のフワフワワウワウしとる感じでいいや。
posted by 隠岐 at 17:45 | Comment(5) | 私論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月10日

同情しないから金はやらない

ここで、坂本龍一が芸大生に対してこんなことを言っている、というのがニュー速で話題になってました。

Q:はじめまして。私はいま芸術大学でアートの勉強(制作ではなく研究やプロデュースにかんして)をしています。大学の教授は、これからの社会にアーティストが必要とされていると言うのですがまったくそうは思えません。(略)坂本先生にはアーティストの条件ってありますか?またこれからの社会でアート、アーティストは必要だと思いますか?

A:世の中の必要性などに反して、自分の道を行け

アートは社会にとって必要ではありません、余計なものなんです。だから、社会に必要とされるアーティストになろうなんて愚の骨頂です。アーティストははぐれ者じゃなきゃいけないし、自分がなりたいからなるのであって、社会がどう必要としているかなんてまったく関係ない。
アートを、エコのためにとか、貧困を救うために……なんて使っているけど、そんな馬鹿げた話はない。そういうのは、アートや音楽を使った洗脳だし、プロパガンダとしてアートを使うものではないと僕は思っている。

フランス革命で王政と旧体制が崩壊するまでは、音楽や絵などのアートは、その時どきの権力者である教会や王侯貴族など、いわゆる金持ちの側で発展したもので、それはブルジョワを経て、現代ではお金をもつ企業や、お金を払う消費者などに変形しつつもいまもつづいている。

とても反語的なんだけど、アートはお金のあるところでしか発展しない。だから、世の中の必要性などに反して、自分の道を行け。
アーティストの条件なんてないし、学校でアートを学ぼうなんて、もうそこからダメ。


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「アートを、エコのためにとか、貧困を救うために……なんて使っているけど、そんな馬鹿げた話はない。そういうのは、アートや音楽を使った洗脳だし、プロパガンダとしてアートを使うものではないと僕は思っている。」

私がボノやコールドプレイのクリス・マーティンやBand Aidや「We are the world」とかの、いわゆる「チャリティ活動」に対して抱いていたモヤモヤした違和感を、見事に言葉にしてくれた。あぁすっきり。昔教授が「ゼロランドマイン」とかやりよったことはこの際目をつぶっておいてやるわ。

私がああいうのを見てモヤモヤしていたのは、音楽や絵画とかが、目的ではなく手段として使われていたかららしい。
ボノやクリスが音楽で築き上げた自分たちの知名度を利用して、貧困なり平和なりの社会貢献することは悪いことだとは思わん。てかたぶん物凄い善行なんだと思う。
でも社会貢献する手口として音楽を利用するのは、私的にすごく嫌なんです。音楽ってそういうものじゃないと思うんです。アーティストが、アーティストのくせに、音楽を踏み台にして全く別のことができちゃえるのかと。もう自分たちのことを、アーティストじゃなくて社会活動家と名乗ったほうがいいんじゃないのと。

私が思うに世の中のチャリティって、少なからずアートと関係しとると思うんよね。だから私はチャリティ全般が嫌いなんだなきっと。そういえば「make poverty history」なんつってオサレなイカリング売ってたな。
チャリティーといえば、ついこの前会社のオバチャンからこんな感じのメールがみんなにまわって来た。あんま覚えてないけ超適当に書く。

「私はチャリティ活動に参加していて、カンボジアのどっかの地域の子供達のためにうんたらかんたらしている。で、その地域のビューティフルな風景写真が入った2011年カレンダーを今売っているので、興味があったら見に来てね。ちなみに写真は地元の子供達が撮りました」

もう、うわあああああぁぁぁぁ!!!ですよ。こういうの。特に最後の「写真は子供たちが撮った」っていうのが個人的にツボ(悪い意味で)。まさに「プロパガンダとしてアートを使」っとるんじゃないかと。
仮に買ったとしてさ、いや買わんけどさ、カレンダーを見て、「綺麗な写真だなぁ」と思う前に(まぁこの手の写真って押し並べて退屈&ロークオリティだけど)、「この写真はカンボジアの恵まれない子供たちが撮ったんだなぁそれを自分は買ったんだなぁ」って絶対思うよね。それがすっごい嫌だ。
非常に気取った言い方するけど、写真とか、絵とか、音楽とかを見たり聞いたりして私が感じたいのは「美しさ」だけ。本当にそれだけ。そこに妙な自己満足(この場合「私はカンボジアの子供を支援した」みたいな)とかの感情を持ち込んでしまうと、もう一気にアートじゃなくなる。「チャリティだから」で納得出来る人ならいいけど、私は「チャリティだから」と思うと逆に、その動機の不純さゆえに投げ捨てたくなる。ってもこういうのって普通に買ったものより捨てづらいんよね。たち悪い。

私台湾行ったとき、タロコ渓谷ってとこに行ったんじゃけど、あそこってなんか原住民みたいな人がおるんじゃ(ところでなんで「原住民」ってみんな浅黒いん?)。で、そこで原住民のおばあさんに日本語で話しかけられて、適当にジャイに通訳しつつ会話しよったらそのおばあさんがなんか途中から絵葉書セット売ってくるんですww絵葉書っていうか、その渓谷の写真の入った葉書ね。してやられたよね。
私基本的に「実写」が好きじゃないので「要りません」と断ろうとしたんだけど(まじでそんだけの理由 まぁちっとは罪悪感はあったわい)、ジャイが必死でそれを止めて、「この収入でこの人も食ってるんだから…」みたいな感じで私をたしなめ、結局その葉書セットを買いました。

まぁ、写真の適当っぷりを見ても、この場合は売る方も完全に絵葉書はただのオマケで、単純に観光客に金を落として欲しいというのが清々しいくらいに伝わってきたんじゃけど、それでもやっぱり「絵葉書」という、アートを巻き込む形を取っている以上、私はそれを自分なりに評価しないと気が済まない。で、結果そのチャチな絵葉書は買うに値しないと判断する。実写好きじゃないし。私は絵葉書にまつわるサイドストーリー(この場合「貧しい原住民の生活」みたいな)なんて、購入に当たって考慮に入れない。
んだけど、ジャイは「この人がかわいそうだから」買うことができるんよねぇ。。えーえー、どうせ私は冷血人間ですよ。
でもね、ジャイの行動は最初から最後まで完全にエモーショナルで、買ったその葉書は単なる「同情の証」であり、「アート」として認識すらしてない点で無粋だと思うし、一応の作品に対する侮辱でもあると思うんです。
で、予想通り家に帰ったらそのしょうもない葉書を持て余した挙句「おじいちゃんにあげようかな」じゃけえね。世話ない。「一瞬の同情でゴミ増やすな」って行く先々であんだけ言っとんのに…しょうがないけ私が1枚使ったわ。でもまだ5,6枚あるんじゃ。

アートは社会にとって必要ではありません、って坂本龍一が言っとるのは、事実そうなのではなくて、そうであって欲しいと願っとるんだろうなと思う。アートや音楽を本当に愛して、敬っているからこそ、俗な(って語弊があるか)ものに利用されたくないんだろうなぁと。社会にとって必要ないってつまり、社会から不可侵であってほしいってことなんじゃないかなぁと。
教授の言っとることを勝手に勘ぐって、勝手に物凄く同意するのでした。でも教授が地雷のなんかやっとったのは忘れてないけえね。あと最近は森のなんかもやっとるらしいし。ブレまくりか。

とにかく私はチャリティ、特にアートフォームに擬態したチャリティが嫌いです。擬態してなくてもわりと嫌いです。チャリティって言えば間違いないって絶対思っとるもん。
私は見ず知らずの不幸な人より今日の晩ご飯のほうが気がかりなんです!!!
っていつか言ってみたい。そして蔑んだ目で見つめられたい。
posted by 隠岐 at 23:06 | Comment(3) | 私論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

日本の文化の話

少々真面目な話。
嫌いな物って誰にでもあると思うけど、私は普通の人より何十倍も世の中に嫌いなものがある自信がある。トマトが嫌いとかゴキブリが嫌いとかそういう具体的なものは置いといて(それはまぁ人並みか人よりちょっと多いくらいかと思われる)、人の考え方とか人の言動に物凄い敏感というか、そこにちょっとでも違和感を覚えたら自分の中の嫌いレーダーが物凄い勢いで反応するわけですよ。こないだのiPhoneの話なんかもまさにこれで、iPhoneそれ自体が嫌いなのではなく(好きでもないが)、それを持つ人の心理がいけ好かないというのを延々書いていました。

で、数多ある私が嫌いなものの中の一つに「京都」があるんじゃけど、京都もこれまた京都自体が嫌いなのではなく、京都人、あるいは京都をマンセーする人達の心理がいけ好かないわけです。京都人が嫌いな理由はここに書き殴ってあるのでもういいけど(ここに出てくる京都人は実はたった一人じゃけど、こういう考え方が少なからぬ京都人に共通しているものだと信じて疑わない)、京都をマンセーする人達、もうちょっと具体的に言うと京都に行って「和の心」だとか「わびさび」文化に魅了されて、なんだか自分が「日本人」であることを再確認して、「日本っていいなぁ」と、いい気分になっている人、って、日本人の大半はそうだと思うけど、特にそれをしみじみと感じとる人。こういう人達に対する私の違和感の理由が、最近読み漁っている中島義道の本の中でいい感じに説明されているような気がするので、端折りながら書き写す。


 京都に「異国」を感じるのは存外簡単である。堀川通から西の樹木が少なくだだっ広い直線的な街路は、大陸からの輸入品であるから「日本的」ではなく「異国」を感じさせるのである。京都では、どんな狭く短い街路にも名前がついているのだが、これも「異国的」である。つまり、これは東京と京都の違いではなく、武家文化と大陸的=異国的な貴族文化との違いなのである。
 同じように、武家文化と町人文化とも画然と異なっている。武士の住んでいた東京山の手の住宅街の雰囲気は、神田や浅草など町人の住んでいた地区の雰囲気とはまったく異なる。だが、久我山や自由が丘や荻窪など現代の東京山の手の商店街は、やはり商店街であるかぎり下町の雰囲気と大同小異である。
 町人の祭りである祇園祭は、あくまでも絢爛豪華であり、祇園囃子は耳をつんざくほどの金属音である。日本人の美意識を基層において形づくるのは、じつは(東アジア全体に連なる)けばけばしい原色の炸裂あるいはすべてを呑み込む混沌なのであり、その表層にうっすらと上澄みのように「簡素を好むわびさびの文化」が浮いているのだ。

 私の大きな疑問は、高さの不ぞろいな貧弱な建造物が立ち並び、その表も袖も屋根の上も原色の巨大な看板で埋め尽くされ、電柱が林立し電線が蜘蛛の巣のように張りめぐらされ、スピーカーの大音響がこだまする日本の商店街を見れば、その猥雑さは一目瞭然なのに、それでも日本人はこの光景を「日本文化」から外してしまう、ということである。
 そして、「日本文化は簡素である」という評価が、誰の口からも飛び出す。ベルサイユ宮殿やシェーンブルン宮殿を見物して、とてもこうした装飾過多のしつこさには耐えられない、と告白する。そして、和室の簡素さを、その床の間に掛けられた一幅の水墨画を賞賛する。
 そのあいだ、あの猛烈にけばけばしい歌舞伎町や秋葉原を忘れているのであるから、なんとも不思議なことである。横浜中華街と渋谷センター街の猥雑さの違いはほんのわずかであるのに、中華街に来ると「ひゃあ、なんだ、このけばけばしさは!」と嘲笑的に批判する。つまり、ヨーロッパ文化は脂っぽく濃厚で、アジア文化は派手すぎて胃にもたれるが、われわれの日本文化は和室のようにお茶漬けのように淡白で簡素なのだ、と思い込んでいる。

 現代日本人の好む風景の典型とは、(何度でも書く)空はとぐろを巻く電線が覆い尽くし、コンクリートの電柱が聳え、原色の広告や看板が林立し、スピーカーの鳴り響く駅前商店街なのであり、けっして横浜山手の外人墓地付近でもなければ、小樽の赤レンガの倉庫群でもない。そして、武家文化の象徴である「間」があり、「無」を考慮した簡素で抑制の効いた街並みでもない。むしろ、これとは全く反対の炸裂する原色の風景である!しかも、日本じゅうの商店街が!
 自分が住んでいる街の光景を、自分が通る街の光景をよく見てみよう。よく耳を傾けてみよう。そうすればわかるであろう。「日本文化は簡素である」なんて寝言をほざいてはいられなくなるであろう。


本当は全文写したいんだけど長いので断念。「醜い日本の私」という本です。
ということでですね、おそらく私がなぜ京都を崇拝する人を嫌うのかというと、京都に行って自分が「日本人である」ことを再確認し、その上日本人である自分を誇らしいとすら感じていることの「鈍さ」なんだと思う。自分が普段どっぷり浸かっている「日本文化」は完全無視しておいて、京都という特別な空間(異国的らしいしそりゃ特別だ)に行って「日本文化っていいなぁ」と言える鈍さ。お前が普段過ごしている小汚い生活空間は日本文化じゃないんかいと。たぶんこれが私が常々、京都マンセー人間をいけ好かねぇと感じていた原因だと思う。その鈍さに腹が立つ。
ちなみに上では端折ったけど、著者は「簡素」が日本文化を代表することになった原因を、明治時代に武家文化が誇大宣伝されたからじゃないかと言っております。武家文化を担っていたのは日本人の1割にも満たなかった武士だったにもかかわらず、武家文化とは無縁の残り9割の日本人が、現代でも未だに、わびさび、サムライ、ハラキリなどなどの武家文化を脈々と受け継いでいると錯覚していると言っております。容赦ないです。私も耳が痛いです。

といっても最近は意識が変わってきとる気もするんじゃけどね。
「日本文化」と言われて、いわゆる舞妓だとか枯山水だとか神社仏閣だとかいう「京都的」なものしか連想せん人って、減ってきとるような気がする。昔と比べると、秋葉原や新宿も堂々と「日本文化」の一員に加えられとる気はする。中島義道氏は「醜い」と一蹴しとるけど、それは認めざるを得んのじゃけど、その醜さに私は確かに愛着を持っとるんよねぇ。あのどうしようもなく小汚い風景(これとかこれとかあえて京都を選んだけど)を見た時こそ、「あぁ、日本に帰ってきた!!」と感じる。
あ、だからって別に醜いままでいいとは思ってないけどね。電柱は死ねといつも思っています。(これを元建築家のジャイの父親に言ったら「日本は地震があるからじゃね?(地中に埋めれない)」と至極真っ当な返答をされた。そんなー)
ちなみに、電柱に関する日本人の意見の一部がここで見れます。否定的な意見が、殆どないんよねぇ。

というわけで、本を読んでいたら私の京都嫌いの理由の手がかりが見つかって膝を打つ思いだったので書きました。
では。
posted by 隠岐 at 00:41 | Comment(7) | 私論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

働いたら負(ry

どうも。長いです。

会社におる日本の人たち(部署は違う)と数人で金曜日とか飲みに行ったりするんだけど、酒の肴に話すのはいつも決まって、会社の「できない子たち」のことです。あの子が仕事が遅いだとかあの子はラクしようとしてるだとかなんだとか。あ、言うまでもないけどメンバーは全員女です。
そういう話を「そうなんすかー」と適当に相槌を打ちながらも、私はいつもその愚痴の内容に言い知れぬ違和感を覚えていて、口をついて出そうになる「でもぉ〜」という言葉をいつも飲み込んだまま、モヤモヤした気分で家路につきます。
だったら飲みについていくなって話なんだけど、金曜の仕事のあとの酒はおいしゅうてのう。。

私前にここでも書いたけど、自分が仕事できると思っていないこともあり、他人の仕事ぶりに関してかなり寛容なんよね。というか、自分が誰かに仕事を教えないといけない時とかいう、他人の飲み込み具合や進捗状況を自分が把握してないといけない、という状況でもない限り、他人の仕事ぶりに全く興味がない。おそらく、うちのチームの人達(オージーにインドネシア人にペルー人等々)は、皆そのような感じ。

しかしながらこのお姉さま方を見るにつけ、私みたいなのは日本人としてはどうやら異端らしい。みんな、チームの中で仕事ができない人を見つけては、その人たちがいかに自分たちの手を煩わせているかとか、どれだけチームの足を引っ張っているかとか、ほんとよく話す。よう見とるわと感心する。してないけど。
で、こうやって徒党を組んでは愚痴る人たちに共通点を見つけたんじゃけど、全員30だi…もとい、「とても真面目」なんよね。責任感も人一倍あるし、なんかよく残っとるし。本当に頑張って仕事をしとると思う。

でもまさにそれが彼女たちを愚痴らせる原因になっとるよなぁっていっつも思うんよね。「私はこんなに頑張っているのに、どうしてアンタたちは頑張らないの!?」っていう不満が、頑張らない人に対して恨みになっていっとる。
そこに私は違和感があるんよね。自分より「相対的」に頑張っていない人に勝手に不満を抱いて勝手に嫌い始めることって、理不尽じゃない?と思う。ちゃんと仕事しているかしていないかの判断だって、その人の主観に過ぎないのに。自分の脳内で設けた基準に届かないというだけで他人を切り捨てることが理不尽でなくてなんであろう。部下を実際に審査することが仕事である上司ならば違うけど、立場は全く一緒なんですよ。
そんで「できない」とされる人たちも、彼女達の鬱憤は感じ取っとるはずなんよね。一日一緒におって(x5)、気付かないわけない。事実お姉さんの1人が「怖がって私に聞いてこないのよホホホ」と言っていたし。。あなたにこれ以上不当なジャッジされるのが怖いのだよ。
チームのためにとても真面目にやっている自分達が率先してチームの雰囲気を重苦しくしていることには、決して気づかんのよねぇ。
それからもう一つの違和感が、「仕事を頑張ることは良くて、頑張らないことは悪い」と思い込んどるところ。

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posted by 隠岐 at 20:55 | Comment(6) | 私論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

本と鼻

日本に帰ったときに本を4冊と日経トレンディを買いました。
なんで日経トレンディなんか…と思われそうなんじゃけど、ポッドキャストで「週間日経トレンディ」を聞いていてそれが結構面白いので、じゃあ雑誌のほうも読んでみようかとそういう動機だったんじゃけど、ラジオとまるきり同じ内容でした。まぁ、当たり前か。ラジオだけで事足りることが分かった。

しかし雑誌のほうはレイアウトが酷くって読みづらかった!雑誌をチラ見しただけのジャイでさえ真っ先に見づらさを指摘してました。
内容はいいのにヤマダ電機の広告を眺めているようなごちゃごちゃっぷりで、こんな雑誌が「デザイン家電がどうこう」と評しているのがいささか滑稽でした。
あと「男の日焼け対策」って記事があった。つまりターゲットが男性ということを買って読んで初めて知った。
以上です。

で、本のほうは大好き中島義道の「人生、しょせん気晴らし」「差別感情の哲学」と、勝間和代の「効率が10倍アップするなんたら」みたいなのと、香山リカの「しがみつかない生き方」。
勝間と香山はネタもネタで買ったんじゃけど(ちなみに香山リカは1円で購入、送料200円)、香山リカが自分と似たような考え方で予想外だった。
「勝間和代を目指さない」が売り文句になっていたような本なので、私はてっきり「幸せはあなたのすぐ後ろに落ちているんですよ…☆」みたいなたわ言が書き連ねられているんだろうと思っていたんだけど、わりと(私にとっては)まともな事を言っているような気がしました。
「いくら努力しても報われないことがある」「運で人生は左右される」とか。そういう諦念感というかなんというか。
しかしやっぱりテレビに出て当たり障りのないことを言ってあぶく銭を稼いでいるこいつを知っているので、香山リカ自身に対する胡散臭さは消えんけどね。明らかな成功者に、成功しなかった者の目線で物を言われてもなぁ。という違和感。2ちゃんでこの人について「『持たざる者』の代表みたいな顔しとるのが嫌」みたいな事が書かれとったけど、私もそう思う。でもまぁ思ったより良かったです。

で、勝間和代。横顔が私に似とる人が最近日本で時の人となり持て囃されているというので、1冊本を買って読んでみたけど、この人の本を読んで、まるで雷が打たれたかのように「カツマー」と化す人って、真面目なバカなんじゃないかなぁという感想を抱いたくらいでした。

勝間和代のライフスタイルや仕事の仕方を羅列しながら、そこかしこにサクセスストーリーを散りばめとるだけなんじゃけど、普通に考えてこれを一般人が真似するのって無理なんじゃないかというような方法ばかりでした。
なんかね、会社でのメールのやりとりは、自分のGmailのアドレスにもBCCしておいて一括管理しておくんだそうです。そうするとメールの内容がGmail経由でいつでもどこでも素早く取り出せるから。ノートパソコンは当然必携ですよ。
ちなみにそんなパソコン(パナソニックのLet's Note一択)のキーボード配列は親指シフト。なんぞそれ。
あとは、ウェストポーチにボイスレコーダーを忍ばせておいて、何か思い立ったときすぐにボイスメモを吹き込むんだそうです。通勤時には、英語のオーディオブックを2倍速で聞くんだそうです。
そして健康維持では、自転車にはGPS、腕にはカロリー計算できる機械をつけて、そのチャリもなんかペダルを引くときにも進む?とかいうやつで、そして余計なカロリーは取らないので紅茶にはミルクを入れないんだそうです。

これを、カツマーはおそらく大半が女だと思うので、フツーのOLまたはバリキャリ志向程度の女が今から全部真似しようったって、土台無理な話だと思うんだけど。実行できずに挫折して自己嫌悪になって終わりそう。私なんて紅茶にミルクの時点で脱落ですよ。
とりあえず私が読んで役に立ったのは、Firefoxに、アドレスバーへ飛べるショートカットキーがある(私はF6でフレーム移動しとった)ということなんじゃけど、そのショートカットキーも忘れたので、結局何も得てない。

あとは、「ノウハウ」とは違うけど本の中で印象に残ったこと数点。
勝間女史は、値段の高い本ほど中身も濃いという持論を持っとって(これって馬から落馬?)、従って内容の良い本は文庫本でなく大抵ハードカバーの本なんだそうです。
文庫本化したハードカバーの本は、安くなったために内容も悪くなるんでしょうか。
私カフカの「変身」って本が多分人生の中で一番好きな本なんじゃけど、文庫本で定価340円なんじゃけど、安いのでゴミクズ文学なんでしょうか。無名の大学教授が見栄のために書いただけのゴミクズ英語本が1万円とか平気でしてしかも学生に強制的に買わせとんじゃけど、高いので良書なんでしょうか。

あとね、「著者に対して失礼だから」という意味で必ず定価で買うんだそうです。で、それはもう毎月たくさん本を買って読むので、手元に残す価値のないと思った本はブックオフで売るんだそうです。
ブックオフが本を書い取ってくれるのはまさに中古本を買う人がいるからなんですが、そんな人達は無礼者なんでしょうか。
ちなみに著者に敬意を表してやまない勝間氏ですが、本を読むコツは「じっくり読まない」ことだそうです。

という感じでね。
先日ひろゆきに番組で突っ込まれまくって理論の破綻っぷりを顕わにしたけど、本の中でも結構スカスカな事を言っとるんよね。。だからカツマーは真面目なバカだと思ったわけです。この人の本読んだ上でよく彼女を崇拝できるなとw
しかしほんまにカツマーっておるんかな?なんか都市伝説のような気がしてきた。

しかしひろゆきのアレを見るにつけ、なんか勝間和代の価値観って本当にガッチガチというか、社会的に、経済的に成功することでしか幸せはありえないとでも言うような、その為に皆が努力して当たり前というような、甚だ迷惑な信念を持っとるようだった。まさかひろゆきの人となりを知らずに番組に呼んだわけでもあるまいに、なぜ、「ダメ人間」の代表みたいな(頭はマジでいいけどね)ひろゆきに対して「若者が起業しませんが〜」とかいう暑苦しいネタを持ってきたのかがさっぱり理解できない。そりゃ「そもそもする必要あるんですか?(ヘラヘラ)」って聞き返されるわw神妙な顔して語ってくれるとでも思ったんだろうか。
で結局、自分のgdgdっぷりに勝間本人が収拾をつけられず「価値観が違いますよね!!!!!!!」みたいな事言っとったけど、討論で、しかも自分から呼んどいてそう言ってまとめようとするのはないわー。…なんか、女の脳の限界を見た気がして哀しい。
それにしても本当に鼻の穴が大きかった。

じゃあ最後に、ひろゆきと勝間の言い争い。インターネットの匿名性について。
匿名だとトレーサビリティ(誰が書いたかの追跡)にコストがかかる(→だから名を名乗らせるべき)というのが勝間の主張。トレースにコストが掛かるのは匿名でも非匿名でも一緒というのがひろゆきの主張。これを見たときは勝間がガタガタすぎてほんとに笑った。

ひ:インターネット上の名前の話でトレースできるかどうかは名前と名無しさんでもコスト一緒ですよね。はい、いいえで答えてください。要はプロバイダに対して、こういうことがありました、トレースして住所を知りたいっていうコストは一緒ですよね。はい、いいえどちらですか?
勝:トレースを必要とする場合には、はい。ただ、トレースを必要とするかどうかの判断がその前にありますので、その分のコスト軽減されます。
(必要かどうかの判断自体が明らかに余計な「コスト」なんじゃないのかな?かな?)
ひ:じゃあ、山田太郎って書いて誹謗中傷しているのと、名無しさんで書いてて誹謗中傷しているのでは、内容は一緒ですよね。
勝:どちらもトレースを請求します。
ひ:じゃあ一緒じゃないですか。



では。
posted by 隠岐 at 19:47 | Comment(2) | 私論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

まち

いやー本当に久しぶりじゃわ。ブラウザの履歴にこのページが出てこんかったなんて初めてかもしれないです。
昔はブログ以外に自分の考えを発表出来る場所がなかっから更新も多かったんですが(あと暇だったし若かったし)、最近は日々思っている細かい事はツイッターで適当につぶやいて発散しているので、自分のブログに自分の足が遠のいている今日この頃です。

さてさて、日本に帰りました。ってもう結構前のことじゃけど。
福岡での結婚式を除けばいつもの帰省といった感じだったんだけど、とある昼下がり、広島バスセンター行きのバスに揺られながらふと、「これからの人生を一生広島で過ごすかメルボルンで過ごすか選べ」って言われたらどっちを選ぶだろうと考えていたんです。で、今なら私はメルボルンをとる気がする、という結論に至った。
なんか、バスの車窓から見えた殺風景がまたそういう気分に拍車をかけたのかもしれんのじゃけどw、なんか広島って寂しいというか、人がつまらないというか(いや別に特定の誰かというわけではなく)、「なんだかんだいって結局地方よね」という感じが正直したんよね。なぜ急にそう思ったんだろうか。

この前、ニュー速+で東京の一極集中について話しよるスレがあったんじゃけど、そこで大半の上京した人達が地方に帰りたくないって言いよったんよね。
「仕事がない」から「アニメ関連のイベントが東京にしかない」まで理由は色々あったけど、「つまらないから」と言ってる人がほとんどでした。もうちょっと固く言うと「地方では東京のような文化的生活が送れないから」ということらしい。
これは東京に1度でも行ったことがある人なら分かる気がすると思うんよね。私は東京に住んだこともなければ訪れたことも数回しか無いので具体的に挙げることは難しいのですが、井上陽水のTokyoの歌詞みたいな、まさにあんな感じですよ。新宿へ地下鉄がすべったり、歌舞伎座を抜けたり並木をすり抜けたり、お魚と未来都市だったり。歌を聞くだけでなにそれ面白そう素敵ってなるのに、そんなとこにひとたび住んだら、そりゃ若い子なんか離れたくなくなるわな。

で、所詮3流国家オーストラリアの、しかもシドニーではなくメルボルンに住んでいる程度の私なんですが(つってもF1だったり全豪オープンだったり、でかいイベントは結構メルボルンが多いんだぜ!)、この度広島に帰って、メルボルンのほうが広島と比べて「文化的な生活」に関しては優れていると思ったわけです。なんだかんだでしょっちゅう色んなことしとるしね(参加したためしはないけど)。某ロンドンを真似して川沿いに観覧車も作ってみたしね。
だけど広島には、常にどこかでなにか楽しそうなことが起きているワクワク感がないんだよなぁ。
お店もいっぱいあるし、電機屋もそこそこ楽しいし(富士通のloox uがどこにもなかったのには愕然としたが)、週末の街も活気があるし、お好み焼きもおいしいけど、何か物足りなさを感じたのは確かであります。
まぁ、広島市が人口110万でメルボルンが400万らしいことを考えても、そりゃ人口が違うので都市としての規模が違うのも当たり前っちゃあ当たり前の事だったんだけど、なんか「広島って地方なんだな」という事実を肌で感じた!

だいたいこういうことって、外国に移り住んで間もない奴が嬉しげに言う事のはずなんじゃけど、なぜそれが突然今になってやってきたんだろうw
不本意でメルボルンに暮らすようになってから5年近く経つらしいんじゃけど、ようやくメルボルンに愛着を持てるようになってきたのかもしれない。なにか不満のある度に、「やっぱり日本がやっぱり日本が」と思っていたけど、ようやく素直にメルボルンの持つ良さを受け入れられるようになったのかもしれない。こんな気持ち初めて。
広島は故郷だし、友達の殆どがいるところなので自分の人生と切り離すことは出来んけど、広島とメルボルン、どちらが楽しいかといえば正直今はメルボルンじゃねぇ。まぁ、広島と比べての話だけどね。東京とメルボルンなら即答で東京です。

とまぁこんな比較をしたところで、私が日本に永久帰国できるのはずーーーっと先の話だと思われるので仮定をするだけ虚しいんですけどね。


うーむ…そもそも勝間和代(使っているイヤフォンまで一緒でワロタ)の本を読んだ&先日のひろゆきにコテンパンにやられる一件もあったのでそのことについて書こうとしたんだけど、全然違うところに行ってしまった。それはまた気が向き次第書きます。

ja。
posted by 隠岐 at 22:38 | Comment(5) | 私論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

「i」

またニュースソースでごめんね!

★“iPhoneに「待った!」” ドコモ、Android携帯「エクスペリア」を4月1日発売…ソニー・エリクソン製

・NTTドコモは18日、ソニー・エリクソン製で米グーグルの基本ソフト(OS)「アンドロイド」を搭載したスマートフォン(高機能携帯電話)「Xperia(エクスペリア)」を4月1日に発売すると発表した。

スマートフォン向けにアプリケーションソフトを提供するインターネットサイト「ドコモマーケット」では、ニュース、動画、ゲームなど無料・有料を合わせ約100種類のコンテンツをそろえた。今後も順次、コンテンツを増やしていく計画だ。

エクスペリアはドコモ、ソニー・エリクソンの両社の戦略商品。国内市場では、ソフトバンクモバイルが提供する米アップル製「iPhone(アイフォーン)」が独走しており、待ったをかけることができるのか、発売前から注目を集めている。

http://sankei.jp.msn.com/photos/economy/business/100318/biz1003181521010-p2.jpg

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ドコモと言えばiPhoneが出たときに「うちにはプラダ携帯がある!」と鼻息荒く宣伝しとったけど、結局あれはどこに行ったのかな?かな?
まぁ、これもコケるんでしょうけど、ソニー・エリクソン×Googleと聞いちゃあ黙っていられねえ!エクスペリア超頑張れ!。

こっちの携帯の主力メーカーってのは、ノキア、ソニー・エリクソン、サムスン、LG、モトローラに最近じゃあすっかりアップルのiPhoneなんですが、私がご贔屓にしとるのはノキアとソニエリなんですな。
使い勝手では断然ノキアなんだけど、ノキアはデザインがいかにも欧米人って感じの残念なデザインが多い、ってかまぁ平たくいうとフリップ式携帯が非常に少ない故、必然的に私の好きなデザインがとても少ないんですな。可愛くない携帯を持つよりも、ちょっと操作性に難アリでも外見に愛着の持てる携帯のほうがいい。てなわけでW980を買って以来私はすっかりソニエリ信者です。「Cool」とよく褒められる漆黒の渋い子です。
ちなみに私普段から旦那や旦那のお父ちゃんを「ソニー信者」と揶揄しているんですが、ソ、ソニエリはイギリスの会社なんだからネッ!私はソニー信者じゃないんだから勘違いしないでよネッ!

そんなソニエリ信者(兼グーグル信者)かつ、スーパーアンチiPhoneの私としては、このエクスペリアを持ってしてiPhoneに一泡吹かせてやれ!と心躍っているわけですよ。まぁ、絶対これもコケるけど。「iPhone以外の何か」にしかならんじゃろね。
もーね、そんなことよりiPhoneですよ。
こっから先は「持たざる者」が、本当はiPhoneに興味津々なのに、いや、だからこそ過剰反応してアンチ化していると思って読んで欲しいんじゃけど。

iPhoneを持っとる人には2種類あると思うんじゃ。
一つ目は、アプリだとか操作性とかの機能面を評価して、機械としてのiPhoneを楽しんどるヲタ。
二つ目は、ファッションとして持っとるスイーツ。

一つ目はまぁいい。こんなに自由自在に使えるおもちゃもないんじゃろう。iPodを持ち歩く必要もなくなるしね。
でもね、周りの人間、特にここ数ヶ月の間にiPhoneに変えた人達を見る限り、全員二つ目のタイプなんじゃ(ちなみに女率9割)!!家にネットが無いのーインターネットよく分からないのーと言っていた私のお友達(ファッション業界勤務)が、彼氏に電話するっつってiPhoneを取り出したときの私の驚きようったらないよ。なぜiPhoneに変えたのか本気で問いたい。キミが主に使うであろう写真やメモ帳や電卓くらいなら普通の携帯にだってあるではないかと。何がしたくてiPhoneに変えたのかと。流行ってるからってだけじゃないのかと。
なんかこの「猫も杓子もiPhone」状態、かつてのiMacを思い出させる。流行とファッション至上主義者っていうかまぁはっきり言うと情弱スイーツが、ワケも分からずなんか売れてるオサレな電化製品を買ったはいいが明らかに機能の半分も使っていなさそうな状態。英語でいうとmake the most out of itしてない状態。英語のほうが私の言いたいニュアンスに近いのはどういうことなの。
そういえば、広島のど田舎に住んどるうちの従兄弟の家にもiMacがあったっけ…。iMacの前に座っとる姿を一度として見ることは無かったけど。従兄弟はそろそろ携帯をiPhoneにしたかな。

まぁとにかく、もはやiPhoneもこんな層にまで浸透してきたかと。もうすっかり「俗」になっている気がして、筋金入りの天邪鬼としては、いくらiPhoneが画期的でしかも外見もオサレ〜なスマートフォンであろうと、もう意地でも持たないと決めているのでありました。ワンオブゼムになりたくない私中二病カコイイってところですよ。

だったらiPhoneじゃないエクスペリアなら欲しいかって言ったら、別に欲しくないんだけどねwスマートフォンって、かつてのPDAを彷彿とさせるようで、なんかギークくさくてダサい。表面が全部液晶ってのも、なんかバランスが悪い。携帯電話には最低ボタンは12個欲しい。画面をカツカツではなく、私はボタンをカチカチしたい。
というのはもう古臭い考え方なんでしょうかね。。みんな順応性いいな。
これからはスマートフォンが携帯の主流になっていくんかね。私は携帯のボタンの形状や数字のフォントを見比べるのが結構好きだったんだけど、ボタン自体がなくなっちゃってそれもできんなるんかね。悲しいのう。

そんなアンチiPhoneの心の葛藤と哀愁なのでした。おわり。
posted by 隠岐 at 18:26 | Comment(7) | 私論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月15日

市松

例によってニュー速+から。

★市橋募金に86万円!市橋ガールズが殺到

募金活動の中心メンバーは市橋ガールズ!?

 2007年に英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(22=当時)を殺害し、昨年11月に逮捕され、殺人罪などで起訴された市橋達也被告(31)の公判前整理手続きが19日に行われる。
公判を控えた現在、市橋被告の支援募金活動が展開され、主婦層から募金が殺到しているというのだ。

千葉大空手部の恩師が設立

「最初は100万円を目標にしていたが、連日届けられ、既に86万円になった」と反響の大きさに驚いているのは千葉大学名誉教授で東京農業大学の本山直樹客員教授だ。
本山氏は市橋被告の千葉大空手部時代の指導者で、先月“市橋君の適正な裁判を支援する会”を立ち上げ、募金活動の音頭をとっている。
「私は元教師ですから教え子が悪いことをしたら罪を消そうとは思わない。市橋君には本当に反省し、罪を償ってもらいたい」と前置きしたうえで、「弁護団の活動が大変苦しい状況で裁判は不公正とはいわないが、適正なものになるかどうか。まともな裁判になるように裁判費用を募金し、弁護団に渡したい」と活動理由を話す。

9割が女性…10万円出した人も

 市橋被告には弁護士会から派遣されたボランティアの弁護団(6人)がついており、弁護費用は無償だが、裁判費用は別。証言集めでも市橋被告の実家がある岐阜への旅費や調査費などもかかる。市橋被告の両親が支援を拒否しているので、十分な弁護活動ができない状況にあるという。この呼びかけに20日間で約50人の賛同者から届いた支援金は「1000円の方から多い人は10万円の方もいた」そうだが、その大半が女性。
しかも「お子さんを持った」(本山氏)主婦層が多かったという。

 この主婦層が“市橋ガールズ”。市橋被告の逮捕時には水嶋ヒロ似の容姿や雰囲気から女性のミーハー的関心や母性本能をくすぐり、ファンクラブが結成され物議を醸した。現在もミクシィで応援コミュニティーが継続中で、本山氏の呼びかけもファンが転載している。本山氏には“(市橋被告の)目を見たら凶悪犯には見えなかった”等のメールが届き、根強い“市橋信者”がいることは間違いない。

 ただ、本山氏は「ファンクラブがあるというのはとんでもない」と話し、募金活動が市橋被告の罪を正当化するものでも信者の駆け込み寺でもないことを強調する。裁判費用は1000万円以上かかるといわれ、募金活動は公判が結審するまで続けるという。



だそうです。
市橋が捕まったときも、そのときに出回った写真でイケメンだと一部で騒がれとったけど、まだ熱心な「市橋ガールズ」(っつっても主婦なんですねw)がおったんじゃね。ていうか裁判で被告のために募金ってのもあまり聞かない話なので、募金自体が胡散臭い気もするけどまぁいいや。
で、気になったのはこのニュースに対する、ひどいインターネットことつーちゃんねるの人々の反応。

男と思われる人たちの「やっぱ女って馬鹿だなwwww」という書き込みが非常に多かったんだけどさ、こないだののりピー、遡ってはNEVADAの子とか、さらにさらにキムヒョンヒ元死刑囚(元って!w)とか、外見の良い犯罪者に甘いのは男だって同じだろと。のりピーの時は警視庁の前かどっかで横断幕持ったファンまでおったしw
男の中にも、市橋ガールズ(笑)と大して変わらんようなのがおるのを棚に上げといて「女は馬鹿」と一括りにされるのが、心外であります!まぁこんなこと言う男にいちいち腹立てるのもアホくさいんだけど。

で思ったのが、のりピーやNEVADAの時に男がチヤホヤしとっても、「だから男は馬鹿なんだよwww」って言っとった女は皆無だったんよね。犯罪者にファンができて物議を醸すのは、いつも犯罪者が男の時じゃなかろうか。上祐とか。
このリアクションの差に、男女の根本的な性格の差を垣間見たような気がするのです!。

つーちゃんねるには「喪男」や「喪女」なる、異性にモテないことを自称しとる人たちがたくさんおるんじゃけど、喪女の書き込みって自虐的な内容が多いんよね。「どうせ私モテないし(´・ω・`)ショボーン」みたいな。非モテのネガティブさが内向的なんよね。「(´・ω・`)ショボーン」これが媚びとるようでまたムカつくんだけど。

それに対して喪男の方は「どうせ俺モテないし(´・ω・`)ショボーン」とはいかず、自分を相手にしてくれない女を敵対視して、一纏めにビッチだとかスイーツ呼ばわりする、という傾向がある。まぁ、何かとエクストリームな人の多いつーちゃんねるの中で見た限りの話だけど、男の場合は非モテのネガティブさが外に発せられている事のほうが圧倒的に多いように思える。

で、この差って言うのは詰まるところ男女の「プライド」の差なんかのぅと。
ここで市橋に戻るけど、市橋ガールズを見て憤りを覚える男たちは、「何で俺じゃなくて市橋なんだよムキー!」という心理が、自分でも気づかないうちにあるんじゃないかと。
殺人犯という社会的底辺の市橋が自分より男として(一部からだが)認められていることを、自分のプライドが認めたくないのではないかと。
市橋をもてはやす女を見て、まるで自分が拒否されたような感覚に勝手になって勝手に怒っているんじゃないかと。
そう感じざるを得ないのであります。
って書くと「殺人犯のファンになるとか人として終わってるだろ」みたいに自分の憤りを義憤に見せかけようとする輩がおるんじゃけど、それはそれで激しく余計なお世話というか、見ず知らずの女が誰にチヤホヤしようとあんたらには一切関係ないじゃんwってなるんだけどね。どっちみちおめーらには回ってこねーよ!

のりピー横断幕男を見て私も「アホスww」とは思ったし、大半の女は笑って済ませるんじゃないかと思うんだけど、市橋ガールズを見た男は青筋立てて「ふざけるな!!」といわんばかりの勢いよね。女がのりピー男見て激怒したら「ブスの嫉妬乙」と言われるのがオチなのに。非常にアンフェア。

ただ、市橋ガールズを叩くのは男だけじゃなくて女にも少なからずおるんだけど。これがよく分からん層なんよねw
女の敵は女、男の敵も女です。

ちなみに市橋逮捕の写真を私も見たけど、ファンになる気持ちは正直分からんでもない。

taiho.jpg

この写真とか。
ウェーブのかかった髪がうつむいた顔を隠す具合、逮捕直後の虚脱感や疲弊感や絶望感漂う雰囲気が、なんともでんじゃらすでせくしー!!
…じゃないすか?駄目?


ただ、市橋の写真にはこんなのもあるわけで。。

busa.jpg

市橋ガールズはこの写真は見ているのだろうか???
てか逮捕された時も顔全体の分かる写真は無かったよね。
それでもイケメン認定してグルーピー化しとるあたり、その想像力のたくましさには感心するばかりですが。。


まぁとにかく。市橋ガールズに謎のバッシングをしているよくわからない人たちにこの言葉を届けたい!

Beauty is in the eye of the beholder

適当に訳すと「美しいかどうかは見た人に委ねられる」=蓼食う虫も好きずき。
とかそういう意味です。英語って諺も直接的よね。
人の好みにとやかく言うんじゃねぇ!ってこった。

では。
posted by 隠岐 at 16:09 | Comment(0) | 私論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月02日

旅行総括

大変にお久しぶりです。
どうも最近ブログいじるのがおっくうでいかん。毎日更新しとった昔が嘘のようです。あ、でもツイッターをやっとりますのでツイッターのエリアだけは日に何度か更新されてます。mixiのほうのボイスは使うのやめてツイッターをメインにしていこうと思います。
mixiのほうだと、ボイスのエリアをマイミクと共用しとるようで、書きたいことあっても微妙に遠慮してポンポン投稿しにくいんよね(それでもしとるほうだと思うけど)。それに比べてツイッターは、自分のページで自分がひたすら独り言言っとる感覚があるので投稿しやすいです。140文字制限というのも、書くのにも読むのにも苦労しないので使い易いしね。ってひろゆきが言ってました。
ちなみにこないだまでツイッタラー(?)の皆さんの間で大人気のハマコーをフォローしとったんだけど、ハマコーのリツイート(=おそらく赤の他人の投稿を「転送」という形で自分の投稿とする機能…だと思われる。つまりハマコーが誰かのつぶやきをリツイートすると、その「誰か」の投稿を私が読まされる羽目になる、多分そういう機能)が鬱陶しいのでフォローを外しました。リツイートってなんか余計なお世話って感じするんよね。


さて。
こないだまでスペインとちょっとイタリアとちょーーっとカタールに行ってきたのでとりあえず感想を書きます。旅行中は色々書くネタが浮かぶんだけど、いざ帰ると家最高気分になってだらけるんよね。

スペイン

・イベリコ豚うますぎワロタ!!!!!!!!!
もーね。口に入れた瞬間広がるあの甘さっていうの。干し肉とは思えない旨みとマイルドさ。YAVAI。仮に、これから一生炙りサーモンかカントリーマアムかイベリコ豚のどれかしか食べられない、ということになったらもんのすごく迷ってイベリコ豚を選ぶかもしれない!そんくらい好き。

・プラド美術館が良かった。
旦那が博物館美術館ではアホほど時間をかけて見るせいで私は「○○館」と付く施設が嫌いなんですが、ここは良かった。ゴヤの「わが子を食らうサトゥルヌス」が見れたのは結構まじで感動しますた。
goya.jpg
意外と小さかった。

あとボッシュの快楽の園も実物が見れてちょっと嬉しかった。キモ良かった。
kairaku.jpg

・喫煙率が異常。
結構まともなレストランでもふっつーに灰皿置いてあってふっつーにあいつら煙草吸いよる。分煙なんてありません。ていうかあっても最終的に皆吸うので機能してません。歩き煙草も当たり前。もうほんっっっとに最悪。煙草文化に関してスペインは0点。禁煙が一般的にならない限り私の中でスペインは後進国です。

スペインはそんくらいかのう。あ、スペイン最終日に旦那がピザにあたり、私は生まれて初めて他人のゲロ処理をした。また一つ大きくなったような気がする。ちなみに同じピザを食べた私は全く異常をきたしませんでした。本当にありがとうございました。


イタリア

・ローマが思ったほど良くなかった。
ヨーロッパ全域に言えることだけど、遠目で見ると実に美しい街並みなのに実際に路上を歩くと酷いもんなんよね。特にローマは路駐っぷりがマジキチだし、うんこ踏まんように歩かんといけんしで、ローマの休日で妄想していた私の中のローマは虚構だった事が分かった。あと、とにかく観光地がほぼ全てキリスト教関連で、もう私は磔になったキリストや手ぇ合わせとる聖母マリアの絵画や彫刻には本当にうんざりしたって言ったら天罰が下るのかしら。アーメン。
バチカンの建物はすごかったけどさ、なんかもう贅の限りを尽くした、金に物言わせた、という印象の方が強かったわ。キリスト教って清貧を潔しとするんじゃなかったの。

・でもシエナは良かった。
見るものも少なかったし。小ぢんまりとしていて非常に素敵な街でした。私たち観光で食ってます!!感が最もなく、私の思い描いていたイタリアに一番近かったです。

・フィレンツェ
日本人多かった!橋以外は特に印象に残ってない。まぁ、見るっつっても結局教会と美術館だし。。あ、かの有名なダビデ像を見たけど、あれもなぁ…。デカいということしか私には理解できませんでした。

イタリア来て2日目で既に絵画と彫刻に飽き飽きしていた私としては、なんかもう展示物をやたら有り難そうに見入っとる人達に対して「ほんとかよww」と思い始めとってね。特にバチカン美術館では、目玉であろう、これ
vatican.jpg
これがある部屋に椅子があるので人の滞在時間が長くなってしまうのもあるけれど、なんかみんなどえらい真剣に見とんよ。お前らほんとにアート(笑)を分かった上で見ているのかと。いや確かにこの絵に関しては構図が面白いのう、くらいは私も思うけど、あとはもう何がなんだか分からん。みんな、有名だからなんとなく有り難がって見ているだけじゃないのかと。何がどう素晴らしいか、自分の言葉で説明できるのかと。
私の近くに日本人のグループがおったんじゃけど、その人達が部屋を出るとき、「もう堪能した?」「堪能したー」とか言い合っとるのを聞いて「ケッ!」と思ったね。まぁ、日本人に限らずあの空間はみんなプチ美術評論家みたいな雰囲気を漂わせとったけど。あとついでに写真撮ろうとしとる人(これも馬鹿だけどさ)を超高速スピードで注意する、プチ警察官気取りの係員にもムカついた。ていうかイタリアの係員、基本的に監視しすぎ。私がシエナの教会で写真撮りよったとき、そこはフラッシュさえ焚かなければ撮影おkという所だったんじゃけど、私がカメラ出してシャッター押すまでの一部始終を、オバハン係員にそれはもう瞬きひとつせず見つめられたわwていうかあいつ私がフラッシュ焚くことを絶対期待しとったと思う。

とまぁイタリアに関してはシエナを除き悪いことばっか書いてしまいました。ピザはおいしかった。革製品も安くて良いのが沢山あった。
でもまた行きたいかって言ったら激しく微妙。統一感のある街並み、おしゃれさんな人々を目の当たりにすると日本やオーストラリアがクソに思えるのは確かだけど、それ以外ではイタリアも大したことねーな!と結論しました。ていうか絵画と彫刻と教会しか見るものが無いなら私には用の無い場所ということが分かった。あとウンコなんとかしようぜ!

という感じです。スペイン贔屓??いやでもスペインのほうが普通に好き。観光地に行かんかったせいかな?スペインもウンコひどいけど。。
あ、カタールはショボいドバイって感じでした。ドバイ行ったことないけど。特にコメントなしです。

では。
posted by 隠岐 at 23:40 | Comment(5) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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